2012年4月3日火曜日

新堕落論(石原慎太郎)読後感

この書は3・11の際に著者が発した『この災害は天罰だ』との言葉の意味や背景を丁寧に説明したものとも読めるし、書名の通り、坂口安吾が終戦後間も無く発表した『堕落論』の続編とも読める。二つの著書に共通しているのは『歴史的敗戦』と『歴史的大災害』に直面した日本人が従来の生活感覚の大幅な変容を迫られている事を認識せよと訴えている点にあると思う。明らかに一種の文明論だろう。よって冒頭の『この災害は天罰だ』との言葉はこの現在の日本の文明状況に向かって発せられた言葉であり、3・11直後に言われたが為に顰蹙をかったが、本意は全く別のところにある事は本書によって良く分かった。ただその際に使われている人間の『堕落』と言う言葉の意味、内実は随分と違っている。坂口安吾は、戦前・戦中に謳われたうわべだけの『欲しがりません勝までは』『忠君愛国』『武士道精神』等に非人間性を見ていて、戦後の世相が簡単にその反対に流れてゆく様を見て、それを『堕落』と捉えるが、その堕落を正しく徹底的に堕落しきる事(うわべだけの道徳の仮面を剥ぎ取る事)によって却って、真の自分自身の『道徳』や『価値観』を獲得出来るであろうと見ている。世相は人間の表面的な現れでしかなく、人間の根本はそれ程変わるものではないと言う事で、敢て付け足せば、『人間の本質はそれ程ご立派なものではない』と言っているように思える。反対に石原は人間の本質-ご立派なものでもないかもしれない-が世相の変化などでは説明出来ない、本質的な劣化を来たしてしまっていると言う意味あいで『堕落』と言う言葉をこの書では使用している。この堕落の結果何が起きているか?『政治の体たらく』中でも『卑屈な外交』『米国への一方的な追従姿勢』、一般国民においては『物欲の肥大化』それから来る『家族の崩壊』『子供達への虐待』『子供自体の変質』等々の現状が詳しく述べられている。それではこの原因は何か?著者の以前からの主張である米国からの『おしきせ憲法』と『おしきせ教育』が根本原因で、それから派生する『平和ボケ』『エゴイズムの肥大化』、そして究極的な『価値の喪失感』が人間性の根本を腐敗させてしまっているとの認識である。ゆえに解決策として簡単に纏めると、政治的には『憲法改正』『本格的な道徳教育の推進』『核武装の議論開始』などをあげ、個人的には『我欲を抑えて忍耐すること』『真剣な恋愛をする事』等をあげ『個人として自立する』事の大切さを切々として訴えている。
核武装の議論開始が必要との主張にはもう少し丁寧な説明が必要だと思うが、そこを除くと石原氏の現状認識と処方箋について全面的に賛成したいと思った。

2012年1月1日日曜日

『パル判決書』読後感

高校卒業時迄、第二次世界大戦、特に太平洋戦争は日本の軍部指導層が愚かで且つそれを制御出来なかった当時の政治家の無能力・無責任さが引き起こした愚挙だと信じて疑わなかった。しかし、その後『太平洋戦争とは何だったのか』『アメリカの鏡日本』『シナ大陸の真相』『大東亜戦争肯定論』等の書物から得られる知識により、事はそれ程単純な構造ではなく、当時の世界情勢と歴史状況を広い視野で捉え直さなくてはその理解に大きなバイアスがかかるのではないかと思い始めていた。そんな時、講談社学術文庫に『パル判決書』なるものがある事を知り早速購入した。パル判事については『東京裁判において、日本は無罪と主張した唯一の判事』との知識は持っていたが、その人柄や思想については全く無知であった。ところが本書を読んでいるうちに判事の法律家としての公正な正義感と強靭な知性、歴史に関する広い視野、深い洞察、そして何にも増してその誠実な人柄に圧倒されました。この書には私の疑問に答える多くの歴史的、政治的事実が描かれており、加えて判事の法律家としての良心と理性が素直に反映されており、公正な精神の持ち主が一切の偏見を排して接すれば、所謂『東京裁判史観』と言うものに一定の疑問を抱くようになる事は必定だと思った。
あの戦争体験を今後に生かして 行くには単に『日本の軍国主義が悪かった』と言うような一面的な議論ではなく、軍国主義を生み出したグローバルな歴史的、経済的、政治的背景も含め、トータルに『何故当時の日本政府が戦争と言う政治的最終手段を取らざるを得なかったのか』を問い直す必要があると強く感じた。その事で過去の歴史に消え去った日本の姿を正しく見詰直し、未来の日本の姿を希望を持って描き出す事が出来るのだと思う。
東京裁判はパル判事の指摘どおり、法的には成立し得ない裁判であり、従って当該裁判では被告達の罪は訴求し得ず、全員無罪だと思う。しかし、法的には無罪であっても当然の事としてそれぞれの分野でリーダーであった事から来る職務上の国家・国民に対する責任は別途詮索されなければならないだろう。この事が明確に日本国民の名において充分に行われていない事は大きな問題ではないか。これは現世代の知識人の歴史的責務ではないかと思う。この歴史的作業の後に普遍的正義の観点から、日本は勿論、戦勝国に対しても同様に、『平和に対する罪』等の東京裁判で被告達を裁いた法的概念を適用し、彼我を正当に裁けば人類の進歩に大いに寄与出来ると思うのだが・・・・・。


2011年12月31日土曜日

E.Hカー『歴史とは何か』読後感

我々が歴史家又は歴史学者から歴史的知識を得る時、如何に彼等からの価値観の影響を被っているかと言う事が説得力ある筆致で書かれている。我々の知識や視野が拡大、深化してゆく事で歴史的事実の因果関係に新たな解釈を生ぜしめ、それによってより広い世界観、思想を獲得出来る。ここにこそ歴史を学ぶ意味と歴史を記録してゆく価値があるのだろう。

立花隆『臨死体験』読後感

膨大な資料と広範囲な詳細調査をもとに著者の体験を交えて語るその論理はさすがに説得力のあるものであった。なんらかの意識主体が経験する特異な事柄が果たして脳内で生じた単なるイメージなのか、実際にその主体が体外遊離して生じたものなのかを徹底して追及した内容である。しかしその膨大且つエネルギッシュな思索にも拘わらず、その結論はどちらとも決しかねると言うものであった。それは、未だ我々の時代の技術、知識、科学レベルがそれらを解決し得る程には発達していないと言う事を意味するのであろうか?将来何らかの方法でその結論が出され、死後の世界若しくはそれに類する、現在の世界とは別の世界の存在が明らかにされると、人類の意識は革命的に変容するのかもしれない。勿論そのような世界は存在しないと言う結論に達する可能性も充分にあるのだが・・・・。どちらにしても著者が最後に『この調査を通して私は死が怖くなくなった。素直にそれを受け入れられると思うようになった』と述べている箇所からは、私自身大きな勇気と安心感を得る事が出来た。

ヘーゲル『歴史哲学講義』読後感

ヘーゲルはこの書で西欧近代が達成した精神文化(=人間の自由の全き発展)のルーツとその発展過程を描いている。しかしその捕らえ方はいかにも西欧文化偏重で、中国やインド等にも可也のボリュームを割いているが、彼の言う『世界精神』の発展にはそれらの文明は全く寄与しておらず、ましてやアフリカ、中南米等の歴史はヘーゲルに言わせると世界史の舞台からは全く外れている。彼の著述はいささか手前勝手な論理展開であるとの観は否めない。しかしながらその歴史を見る視野は壮大であり、ペルシャからギリシャ、ローマ、中世キリスト教、宗教改革を経て、ゲルマン社会に花咲いた近代文明を描く雄大な物語は圧巻であった。彼の言う『世界精神』とは『神』を意味していると思うが、そういった意味では『人類が営々として築いて来た、又築きつつある文明とは何か?』『文明発展をささえるエネルギーは何か?』『その行く末は?』を考えさせてくれる刺激的な内容であった。